園山大弓場 沿革
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園山大弓場 沿革

 長州萩毛利大膳大夫の家臣・福井元左衛門の長男、福井元造(通称田中長九郎、長谷川長九郎等) は、 壮年より勤皇家、梅田雲浜等と深く交わり、幕府の非を 京から国元の同士に通達するなどの勤皇倒幕活動を行っていましたが、事が京都屋敷の忌む所となったことから、屋敷詰を 辞して浪人の身となります。福井元造は日置流弓術を修め、免許皆伝の達者であったことから、文久二年(1862年)、現在の 円山公園にある祇園祭山鉾収蔵庫あたりに大弓場を始めました(同士との連絡を取るためと伝えられています。)

文久三年(1863年)の八月十八日の政変、元治元年6月の池田屋事件、7月の蛤御門の戦における長州勢の敗退等の情勢の下、 幕吏の探索が厳しくなり、元造は大津に逃れますが、潜伏中に捕縛され、元治元年11月六角獄舎にて死去しました。大弓場はその後、 子の長次郎が二代目、孫の清之助が三代目となり、引き継がれ今日に至っています(現在の場所に移築されたのは明治20年頃)(現当主は六代目)。

*文久年間(西暦)の西暦部分に誤記があり訂正しました(H22.2.27)

 

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